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现代北京的“老炮儿”与民国时期的闰土

2016/03/14

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現代北京の“老炮児”と民国期の閏土

         藤井省三(東京大学教授)

       中国の若者は、時々バスや地下鉄で私に席を譲ってくれる。東京では滅多にないことだ。“老外(外人さん)”と思ってのことなら、“哈中族(中国大好き派)”の私としては面映ゆく、“老人家(ご老人)”と思ってのことなら、「まだまだ若いぜ」という気負いもあり、四、五年前までは“不用,不用,您坐, 您坐(結構、結構、あなたがお掛けなさい)”と断っていた。それでも“花甲(還暦)”の年を過ぎると、若者たちの好意は有り難く受け取ろうという気持になった。文字通りの“老老外”となったせいだろう。

       私が現代中国文学と映画を学び始めてから、四〇年余が過ぎた。このコラムでは、そんな“老外漢学家”の目線から、現代中国文化に関する感想を書こうと思う。“老人的车轱辘话”(老人の繰り言)でご退屈かもしれないが、その場合には、吊革に掴まる“老老外”に接するように、一片の“博愛”心を起こして読んで頂ければ有り難い。

       さて初回の今日は、中国で話題の映画『老炮児(元不良老人)』について話そう。昨年末の一週間を中国で過ごした私は、この映画を南京で二回見た。一度目は二、三時間の暇を潰そうと出かけて行った新街口で偶然見たのだ。主人公の老六は私と同年輩、彼の若者たちに対する、これが“规矩(決まり)”だ、という説教にもフムフムと同感し、頤和園の裏の凍りついた野湖での械闘場面――ちょっとドン・キホーテ風だけど――には目頭が熱くなった。さすがは馮小剛監督、主演俳優になっても、観衆を笑わせ泣かせてくれるもんだ、と満足してスクリーンを後にしようとして驚いた――満席の観衆はほとんど若者、しかもこれはクリスマスイブの夕方だというのに。北京の元不良老人の繰り言に、南京の若者がクリスマスに最後まで耳を傾けている、という光景に驚いたのだ。

       中国の若者には『老炮児』の何が面白いの?という疑問を解こうと思い、翌日も映画館に足を運んだのだが、“老外漢学家”の胸に浮かぶことと言えば、ああ、懐かしき北京の胡同、というようなノスタルジーである。1979年に私が第1回日中政府間交換留学生として中国に留学した時には、老六が住むような胡同は北京の至るところで見ることができた。当時の街で知り合う北京人は若い“老外”が中国語を理解すると知ると、60年代から70年代までの苦労話をたくさん話してくれたものだ・・・・

       映画館でそんなことを考えている内に、老六がしばしば若者たちに向かって説く“规矩(決まり)”という言葉が気になってきた。若き日の老六が不良をしていた1970年代とは鄧小平時代が始まった頃のこと、その時に登場した改革・開放経済体制は、90年代には市場経済体制へと展開していく。老六が守ろうとする“规矩(決まり)”とは、この70年代から80年代にかけて形成された庶民の倫理なのだろう。そして私が“规矩(決まり)”という中国語を学んだのも、この70年代のことだった。それは魯迅の小説「故郷」に出て来た言葉である・・・・

       語り手の「僕」は故郷の地主屋敷で三十年ぶりに幼馴染みの農民閏土と再会し、昔のように“闰土哥(閏兄ちゃん)”と呼びかけるが、閏土が「老爷!(旦那様!)・・・・」と答えたため、「僕」は“我们之间已经隔了一层可悲的厚障壁了(二人のあいだはすでに悲しい厚い壁で隔てられている)”と思い、“打了一个寒噤(身ぶるい)”する。脇から「僕」の母親が“你怎的这样客气起来。你们先前不是哥弟称呼么?还是照旧:迅哥儿。(遠慮なんかしちゃいけないよ。二人は昔は兄弟同様の仲だったでしょう。これまで通り、迅坊っちゃんと呼んだらいいさ。)”と機嫌よく言うが、閏土はこう応じるのだ。“阿呀,老太太真是……这成什么规矩。那时是孩子,不懂事……(いやもう、大奥様は本当に・・・・それじゃあ世の中の決まりはどうなっちまいます。あの頃は子供で、道理もわきまえず・・・・)”

       思えば閏土も辛亥革命(1911年)による清朝滅亡から中華民国前半の軍閥割拠という大転換期を生きていたのだ。“多子,饥荒,苛税,兵,匪,官,绅(子だくさん、飢饉、重税、兵隊、盗賊、役人、地主)”そのすべてに苦しめられていると訴える閏土が、地主の息子の「僕」に対し雇われ農民の“规矩(決まり)”通りに、と「老爷!(旦那様!)・・・・」と呼び掛けるのは、地主は地主らしく小作人の暮らしに配慮せよという要求ではなかったろうか。「僕」と彼の母親は、苛酷な現実が閏土を“像一个木偶人了(木偶人〔ルビ:でくのぼう〕にしてしまった)”と考えるが、実は閏土は“规矩(決まり)”の論理に従って雄弁に「僕」を説教していたのではないだろうか・・・・

       私が四十数年前の「故郷」読書体験を思い出しているうちに、二度目の『老炮児』は終わってしまった。老六が命をかけて北京の若者に教えようとした“规矩(決まり)”とは何だったのか。現代中国の若者が『老炮児』を好むのはなぜなのか。老外漢学家の宿題は終わっていない。

著者略歴
1952年生まれ。1982年東京大学大学院人文系研究科博士課程修了、1991年文学博士。1985年桜美林大学文学部助教授、1988年東京大学文学部助教授、1994年同教授、2005~14年日本学術会議会員に就任。専攻は現代中国語圏の文学と映画。主な著書に『中国語圏文学史』、『魯迅と日本文学――漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中国』、『中国映画 百年を描く、百年を読む』など。


本文は著者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解を代表するものではありません。

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