老外汉学家的车轱辘话(6)村上春树中的“南京大虐杀”——新作《刺死骑士团长》中的中国
2017/03/20
“老外漢学家”の繰り言(6)村上春樹の中の「南京事件」――新作『騎士団長殺し』における中国
藤井省三(東京大学教授)
村上春樹の新作長編小説『騎士団長殺し』が大いに注目を集めている。そのあらすじについては3月4日の『日経電子版』の記事を引用しよう。
主人公の「私」は肖像画家。妻と別れ、今は認知症が進み養護施設に入っている日本画家・雨田具彦の旧宅に一人で暮らしている。
ある日、「私」は屋根裏部屋で「騎士団長殺し」と題した日本画を発見する。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」に材をとり、若者が「騎士団長」を刺殺する場面を描いた作品で、雨田が描き、ひそかに隠していたものだった。
「私」に肖像画の制作を依頼する謎の資産家・免色や、「私」に絵を習っている少女・まりえら多彩な人物との関わりを通じ、主人公は「騎士団長殺し」に秘められた謎を探究することになる。(「村上春樹新作を読む 『騎士団長殺し』」)
『騎士団長殺し』とは作中に登場する日本画の題名でもあり、その絵とはモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の一場の主人公ドン・ジョバンニによる騎士団長刺殺を題材とするものである。
プレーボーイのジョバンニが未婚の女性に夜這いをかけたところ、彼女が抵抗し、そこに彼女の父親の騎士団長が駆け付けたため、ジョバンニが騎士団長を刺殺してしまうのだ。
このオペラの一場を雨田具彦(あまだともひこ)は日本の飛鳥時代(6世紀末から7世紀前半)の習俗に置き換えている。「騎士団長殺し」の絵に「秘められた謎」とは何か?それは第二次世界大戦前に画学生だった雨田具彦と、その弟で音大でピアノを専攻していた継彦とが、それぞれ留学先のウィーンと徴兵され動員された南京における悲惨な体験であった。
兄の具彦は1938年3月のアンシュルス(独墺合邦、ナチス・ドイツによるオーストリア併合) 当時、オーストリア人の恋人と共に対ナチス抵抗組織に属し、要人暗殺計画に関わって逮捕され、恋人らは処刑され、具彦自身も「サディスティックな拷問」を受けた。
そして弟の継彦は1937年の南京攻防戦で上官に軍刀による中国人捕虜の斬首を強制され、この体験のトラウマに耐えきれず、復員後に遺書を残して自殺したのだ。具彦はウィーンから帰国後、弟の遺書を読み、自らの対ナチス抵抗の挫折体験と併せて、密かに日本画「騎士団長殺し」を製作し、これを厳重に梱包して自宅の屋根裏に隠した。この政治と芸術との対立、国家と個人との矛盾を描いた秘密の絵を発見したことにより、「私」は不思議な事件に遭遇し・・・・と物語は展開していく。
『騎士団長殺し』における南京事件に関する記述は深刻である。「私」の不思議な隣人である免色は、「南京虐殺事件」について「私」に向かい次のように説明している。
日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。〔中略〕正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?
南京事件における中国側被害者数は、日本の歴史学者である秦郁彦の推定によれば、不法殺害が兵士三万と一般人八〇〇〇~一万二〇〇〇をあわせて合計三万八〇〇〇~四万二〇〇〇、強姦二万である(『南京事件』中公新書、中央公論新社)。また笠原十九司の推計によれば「二〇万人近いかあるいはそれ以上」となる(『南京事件』岩波新書)。免色の言葉を読みながら、私は数年前に東京で開かれた南京事件関係の日本製作ドキュメント映画上映会での、ゲストの右翼思想家の発言を思い出した――殺されたのがたとえ一万人であっても大問題なのです。村上春樹は免色の言葉を通じて、現代日本人の良識を描いたのであろう。
しかし日中戦争期の日本では弟の継彦の自殺は「徹底した軍国主義社会だから」、継彦の遺書も「焼き捨てられ」てしまう。それでも雨田画伯は後年、彼の息子の政彦に継彦の遺書の中味を漏らしたことがある。政彦は父から聞いた叔父継彦の遺書の凄惨な内容を、親友の「私」に次のように語っている。
叔父は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。〔中略〕帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな。叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわけがない。うまくとどめは刺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたうちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった。
継彦叔父はこの虐殺体験により「神経をずたずたに破壊され」、「髭剃り用の剃刃をきれいに研いで、それで手首を切」って自殺し、「自分なりの決着」をつけたのだ。日中戦争期の日本軍による残虐な行為に関しては、戦時中には石川達三(1905~1985)がルポルタージュ小説『生きてゐる兵隊』(1938)で克明に描いている。戦後生まれで戦争体験を持たない村上春樹が、『騎士団長殺し』で南京事件をここまで克明に描いた点は注目すべきことである。
実は村上はデビュー作の『風の歌を聴け』(1979)の中で、主人公の「僕」に「〔叔父の〕一人は上海の郊外で死んだ。終戦の二日後に自分の埋めた地雷を踏んだのだ。」と語らせている。“満州国”やノモンハン事件をテーマにした村上の長篇小説には、『羊をめぐる冒険』(1982)と『ねじまき鳥クロニクル』(1992~1997)とがある。日中戦争が村上文学の原点の一つであることは、私は拙著『村上春樹のなかの中国』で詳しく述べた。『騎士団長殺し』とはこのような村上自身のデビュー以来の中国のテーマを新たに展開したものなのである。
著者略歴
1952年生まれ。1982年東京大学大学院人文系研究科博士課程修了、1991年文学博士。1985年桜美林大学文学部助教授、1988年東京大学文学部助教授、1994年同教授、2005~14年日本学術会議会員に就任。専攻は現代中国語圏の文学と映画。主な著書に『中国語圏文学史』、『魯迅と日本文学――漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中国』、『中国映画 百年を描く、百年を読む』など。
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