老外漢学家の繰り言(3)「永遠的少年」村上春樹がイエール大学名誉文学博士となる時
藤井省三(東京大学教授)
アメリカ・イエール大学が5月23日の卒業式で、村上春樹に名誉文学博士号を贈った。すでにプリンストン大学やハワイ大学が村上さんに名誉博士号を贈っているためか、このニュースは日本や中国のマスコミでは報じられていないようだ。
この吉報を授賞式当日に私に知らせてくれたのは、孫康宜・イエール大学教授である。彼女は著名な古典中国文学者で、卒業式では前から二列目に座っておられたとのこと、壇上で会場の卒業生一同に向かい学位記を掲げる村上さんの姿を撮影して下さったのだ。
黒い角帽に黒いガウン姿で和やかに微笑む村上さんを見て、恭喜!恭喜!(おめでとう)と心の内でお祝いしながら、ふと彼の足元を見ると、何とジーンズにスニーカーだった。そこで村上さんが二〇年以上も前のプリンストン大学滞在記『やがて哀しき外国語』で、「運動靴を履いて、月に一度美容室ではなく床屋に行って、いちいち言い訳しない。これが男の子のイメージである。」と書いていたことを思い出した。
名誉博士号というのは碩学に贈られるもの、そして碩学というのは中高年の方が多い。村上さんは一九四九年生まれだから、今年で67歳になる。作家にとって60代と言えば名誉博士の適齢期なのだろうが、村上さんは、やっぱり男の子でいたい、という気持ちを抑えきれず、ガウンの下のスニーカーというちぐはぐな装いとなったのだろう。天晴れ永遠の男の子!と思いながら、改めて授賞式の写真を眺めると、村上さんの本に挿し絵を書いていた安西水丸さんの絵が思い出された――茶色の饅頭〔ルビ:マントウ〕に墨の眉と胡麻の目を付けた、ちびまる子ちゃんのボーイフレンドのような例の村上さんの似顔絵が。
孫教授は卒業式パンフレットの見開き二頁分の写真も送って下さった。そこには村上さんへの博士号授賞理由が書かれている――国語教師同士の両親の間に戦後ベビー・ブーム世代として生まれ神戸で育った幼少期から、早稲田大学文学部で学んでいる間に妻の陽子さんと知り合って結婚し、卒業後は夫婦でピーター・キャットというジャズ・バーを開いた青春時代まで。第一作『風の歌を聴け』で文芸誌『群像』の新人賞を受賞してデビューし、『ノルウェイの森』でベストセラー作家となり、その後も『海辺のカフカ』や『1Q84』を書き続けている作家歴。レイモンド・カーヴァーやフィッツジェラルド、ティム・オブライエンらの作品を訳しており、アメリカ文学の翻訳家でもあること等々。そして最後は週刊誌『TIME』が昨年の「世界で最も影響力のある100人」の一人に村上さんを選んでいる、と結ばれていた。
一頁半という限りある紙幅で、要点を押さえて書かれたこの村上評は、このまま文学事典に転載できそうな文章だ。イエール大学東アジア文学部は日本文学の優秀な専門家も擁しており、その内のお一人が書いたのだろう。
しかしこの紹介に対し、私のような老老外漢学家(老人外人中国文学者)は不満である。村上春樹は中国語圏や韓国、ベトナムなどの東アジアでも大人気の作家であり、中国大陸の読者だけでも欧米の読者を数において凌駕しているのではあるまいか。私も『村上春樹心底的中国』(台北・時報出版、日本語版原題:村上春樹のなかの中国)で、1980年代末に台湾で始まった村上ブームが、香港、上海、北京と東アジアを右回りに伝播した「時計回りの法則」、村上文学受容は高度経済成長が一段落した時に生じる「経済成長踊り場の法則」、さらには欧米では『羊をめぐる冒険』が好まれるのとは逆に、中国語圏では『ノルウェイの森』が好まれるという「羊高森低の法則」等という四大法則も指摘した。衛慧(ウェイ・ホイ、えいけい、1973~)、慶山(旧名:安妮宝貝、Annie Baby、1974-)、田原(ティエン・ユアン、でんげん、1985~)等村上チルドレンたちの中国での活躍ぶりも描いた。
孫教授のお招きを受けて、イエール大学で魯迅・村上・王家衛(ウォン・カーウァイ)という東アジアの文学・映画における「阿Q」像の系譜に関する講演をしたこともあり、彼女はこのことを覚えていて今回も授賞式の写真を送って下さったのだろう。
二〇世紀末の十年あまりは、中国では『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』に数種類もの翻訳が刊行されたものだったが、中国のWTO加盟後の二一世紀には版権制度が確立したため、上海訳文出版社による林少華・中国海洋大学教授の訳に一本化されたものの、二〇〇九年に『1Q84』が刊行されると、中国では大手一〇社が名乗りを上げて版権争奪戦を行い、最終的に出版販売企画会社の新経典文化有限公司が一〇〇万US$で版権を取得、施小煒・上海杉達学園大学教授が同書を翻訳している。続けて『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も新経典による版権取得、施教授による翻訳となった。中国語訳の版元や訳者の交替により、中国における村上受容がどのように変わるのか、という点も興味深い。
先ほど村上さんを「永遠の男の子」と称したが、台北の批評家の楊照氏に『永遠的少年』という評論書がある。但しこれは『海辺のカフカ』論であるが。
ところでイエール大学のパンフレットは、“his passion for long-distance running"を描いた回顧録として、村上さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』にも触れていた。我らが「永遠的少年」は卒業式が終わると、ドジな新聞記者のクラーク・ケント君がスーツを脱ぎ捨ててスーパー・マンに変身するように、角帽とガウンを脱ぐや、ジーンズのままNew Havenの街をさっそうとジョギングしたのかもしれない。私も“老老外”とはいえ、彼より三歳年少なのだから、長距離走とは言わずとも、一日万歩くらいは心がけたいものである。
著者略歴
1952年生まれ。1982年東京大学大学院人文系研究科博士課程修了、1991年文学博士。1985年桜美林大学文学部助教授、1988年東京大学文学部助教授、1994年同教授、2005~14年日本学術会議会員に就任。専攻は現代中国語圏の文学と映画。主な著書に『中国語圏文学史』、『魯迅と日本文学――漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中国』、『中国映画 百年を描く、百年を読む』など。
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