老外汉学家的车轱辘话(15)中国电影中略带“江湖”气息的男女--贾樟柯导演《江湖儿女》

2018/12/10


  日经中文网特约撰稿人 藤井省三:贾樟柯(1970~)是当代中国具有代表性的电影导演。他的最新作品《江湖儿女》以有342万人口的“煤炭之都”山西大同为主要舞台,描绘了一对略带江湖气息的男女从2001年至今的人生。

                       

藤井省三

  斌哥经营着一家出租车公司与当地大老板聚集的麻将馆,他受托进行与房地产开发有关内幕交易的同时,和他的小弟们边看香港电影《英雄本色》(1986)等,边学习黑社会的仁义。

       

  斌哥的恋人模特儿巧巧,希望能与斌哥早日结婚,常摆着大姐大的架势,而斌哥却忙于黑道修行。一天夜里,由于斌哥在街头受到了敌对团伙的袭击,巧巧拿起他的枪进行恐吓性的射击,虽然脱离了危机,但二人却因为非法持枪分别被判处一年和五年有期徒刑。巧巧出狱后,为寻找先出狱四年的斌哥来到了三峡大坝,已经失去江湖气概的斌哥提出与巧巧分手。巧巧在寻找斌哥的过程中遇到了形形色色的江湖骗子,逐渐也学会了骗钱的招数,回到大同后重新经营起麻将馆,将因过度饮酒导致脑溢血而半身不遂的斌哥带回了自己家中……

           

  从全程用山西方言激情演绎大姐大风范的赵涛的身上,我联想到了日本的黑道电影《极道之妻》系列中的主演岩下志麻。或许贾导演是边学习香港和日本的黑道电影,边制作《江湖儿女》的吧。

           

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  但是仅从我在中国生活时接触到的中国媒体报道而看,黑社会的存在感很薄弱。电影标题“江湖”一词是指广阔的外面的世界,或者是指药贩子、街头艺人等各处闯荡的人们,很少指代中文意义上的“黑社会(暴力团)吧”。实际上斌哥和巧巧并没有进行密贩毒品、组织卖淫等非法活动,麻将馆的客人们赌钱也不过是尽兴的程度,即便有夜晚街上的一声枪响,也并没有上演华丽的枪战。最初两人的经济活动大都局限于大同市内,这与“江湖”一词给人的印象相距甚远。那么为何贾樟柯导演要刻画一位没有成为黑社会头目的男子和一名经营着在合法与非法边缘徘徊的麻将馆的大姐大呢?

         

  今年8月,在首尔召开的第100届中国电影论坛国际研讨会上,我发表了《关于贾樟柯电影:高度经济发展里面的“底层叙述”》。从处女作《小武》(1988)到《天注定》(2013),贾导演都是以小城市里的县城为舞台进行“底层叙述”。但是,在2015年的《山河故人》中,主人公是山西省的暴发户--移居澳大利亚的资产家、他的儿子以及在小城市汾阳过着富裕生活的前妻等,底层群体只能依靠富豪们的怜悯而勉强生存。

          

  贾导演的底层叙述至《山河故人》已显现出巨大的变化,因而我格外关注本作品《江湖儿女》。从这样的视角来看《江湖儿女》,就可以理解该作品主题是在远离都市的资产家周围开办社交集会场所的侠客吧。从古至今,侠客们从来都主张劫富济贫,被社会弱势群体和底层人民视为英雄。然而,斌哥在修行途中脱离了江湖之道,巧巧充其量也仅是再次雇用斌哥原先的小弟,并非为了做挫败强暴的英雄。贾樟柯导演继《山河故人》之后,也未对底层叙述做新展开。

         

  此外,在首尔发表的《关于贾樟柯电影:高度经济发展里面的“底层叙述”》的日语版刊载于《Talking Heads》第76号(2018年10月)上。

         

(翻译 林敏洁 南京师范大学东语系主任教授)

     

藤井省三 简历  

  东京大学名誉教授。出生于东京。76年毕业于东大中文系,82年毕业于东大中文系博士研究生院。1988-2018年東大文学部准教授、教授。日本学术会议会员(2005-2014年)、日本中国学会理事,中国人民大学海外名师,南京大学海外人文资深教授。研究领域:现代中国文学、电影。主要研究成果:《鲁迅<故乡>阅读史》、《村上春树心底的中国》、《华语圈文学史》、《隔空观影》(以上都是汉译本)、《鲁迅与日本文学――从漱石、鸥外到清张、春树》等。

          

本文仅代表个人观点,不代表日本经济新闻(中文版:日经中文网)观点。

     

本文为中日文对译版,日语版请点击下页 

        


15回 中国映画のちょっとヤクザな男女――ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督『江湖児女』  

         

 藤井省三 

         

 ジャ・ジャンクー(賈樟柯)(1970~)は現代中国を代表する映画監督であり、彼の最新作『江湖児女』は、石炭の都と称される人口342万人の山西省大同市を主な舞台として、2001年から現在に至るまでの、ちょっとヤクザな男女の人生を描いている。
         

 斌〔ピン〕兄さんはタクシー会社と地元の資産家たちが集まる麻雀店を経営し、不動産開発に関わる裏の仕事を頼まれるいっぽうで、子分たちと香港映画《英雄本色》(1986)などを見ては、ヤクザの仁義を学んでいる。
         

 斌兄さんの恋人でモデルの巧巧〔チアオチアオ〕は、彼との早期の結婚を願いつつ姉御風に振る舞っているが、斌兄さんはヤクザ修行で忙しい。ある夜、斌兄さんが街頭で敵対組織の襲撃を受けたため、巧巧が彼の拳銃で威嚇射撃を行いこの危機を切り抜けるが、二人は拳銃不法所持によりそれぞれ禁固一年と五年の判決を受ける。巧巧は出獄後、四年先に出獄した斌兄さんを探して三峡ダムまで出かけるが、すでにヤクザの気概を失った彼は、彼女と別れたいという。巧巧は斌兄さん探しの過程で大小のペテン師らに出会う内に、自らも金持ちを騙す術を覚え、大同に戻って賭け麻雀店を再興し、過度な飲酒による脳溢血で下半身不随となった斌兄さんを自宅に引き取るが・・・・
        

 山西方言全開で姉御役を熱演する趙涛からは、日本のヤクザ映画『極道の妻たち』シリーズ主役の岩下志麻が連想された。ジャ監督はおそらく香港や日本のヤクザ映画に学びながら、『江湖児女』を製作したのであろう。

            
 しかし中国で暮らし、中国メディアの報道に接している限り、ヤクザの存在感は薄い。映画の題名の“江湖”とは広い外の世界、あるいは薬の行商や大道芸人など世間を渡り歩く人々を指す言葉で、中国語の“黒社会(暴力団)”を意味することは少ないだろう。実際に斌兄さんも巧巧も麻薬密売や売春組織などの非合法活動はしておらず、麻雀店の客たちの賭け金もやや羽目を外した程度に過ぎず、夜の街に銃声一発が轟くことはあっても、派手な銃撃戦が演じられることはない。そもそも二人の経済活動もほぼ大同市内に限られており、“江湖”のイメージからは遠い。なぜジャ監督はヤクザの親分になれなかった男と、合法と非合法との隙間で営業する麻雀店の姉御とを描いたのであろうか?
          

 去る8月にソウルで開催された第100回中国電影論壇国際シンポで、私は「中国高度経済成長に取り残された「底層」を描き続けて ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の映画を回顧する」〔中国語訳《关于贾樟柯电影:高度经济发展里面的“底层敘述”》〕という研究発表を行った。デビュー作『一瞬の夢』(原題:小武、1998)から『罪の手ざわり』(原題:『天注定、2013)に至るまで、ジャ監督は小都市の県城を舞台に“底層叙述”を行ってきたのだ。しかし2015年の前作『山河ノスタルジア』(原題:山河故人)においては山西省の成金でオーストラリアに移住した資産家とその息子や、小都市汾陽で裕福な暮らしを送る彼の前妻らが主人公であり、低層階級は資産階級の憐憫に縋ってかろうじて生きているのである。
           

 このようにジャ監督の底層叙述は『山河ノスタルジア』に至り大きな変化を見せていたために、私はことのほか本作『江湖児女』に注目していたのだ。そのような視点から『江湖児女』を見ると、同作のテーマが地方都市の資産家の周縁で社交クラブを営む侠客であることが理解できよう。古来、侠客とは強きをくじき弱きを助けることをたてまえとしており、社会的弱者である低層階級の人々にとっては英雄であった。しかし斌兄さんは修行の途中でヤクザ道から脱落し、巧巧は斌兄さんの元の子分を再雇用するのがせいぜいで、強きをくじく英雄を目指しているわけではない。ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督は、『山河ノスタルジア』に続けて今回も底層叙述の新展開を避けたようすである。
                     

 なおソウルでの報告「中国高度経済成長に取り残された「底層」を描き続けて」の日本語版は『トーキング・ヘッズ』第76号(2018年10月)に掲載されている。

                           

著者略歴

          

1952年生まれ。1982年東京大学大学院人文系研究科博士課程修了、1991年文学博士。1985年桜美林大学文学部助教授、1988年東京大学文学部助教授、1994年同教授、2018年退休、東京大学名誉教授。2005~14年日本学術会議会員に就任。専攻は現代中国語圏の文学と映画。主な著書に『中国語圏文学史』、『魯迅と日本文学――漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中国』、『中国映画 百年を描く、百年を読む』など。

           

 本文は著者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解を代表するものではありません。

        

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